ゆたりのTY日記

いつも心温かく生きていいって。

2017年梅雨明け位から秋の体調管理

 

ひと段落」の記事にも書いたが、2017年の梅雨明けから暑くなってくると、胃が重く、だんだん身体のだるさも出てきて、官足法をする回数は減った。

 

しかし、夏が終わり、涼しくなってきてからは、官足法をまた毎日やるようになった。

 

少しの間、起床して瞑想後にやったりしていたが、さらに寒くなってきてからは、また夜やるようになっている。

 

2016年は紫外線対策をせずにウォーキングをしたために、夏にステロイド増薬になったが、2017年は夏を乗り越えられるようウォーキングはやめておいたので、ステロイドは増量することなく過ごせた。

 

しかし、夏バテはしてしまったので、2018年以降は夏バテしないようにしたい。

 

具体的には汗をたくさんかくと、ビタミンB1が流れ出てしまうらしいので、来年はビタミンB1を多めに摂るようにしてみたい。

 

ちなみに先日の病院受診(SLE・リウマチ)では、CRPが0.1だったので、ステロイドは5㎎→4㎎になった。

 

前々回の受診でもステロイド1㎎減になったのだが、減薬一ヵ月後くらいに精神的に不安定になり、怒りっぽくなって、怒りを爆発させ、腰を軽くぎっくりやってしまった。

 

それに2012年にステロイドプレドニンプレドニゾロン)を服用しだしてから、今回初めて5㎎未満になるので、いきなり1㎎落としてしまわずに、5→4.5(1カ月)→4 ㎎でやるつもりだ。

 

 

自尊心と繰り返すパターン

 

ひと段落ついてから、自分の人生に専念することに意識を向けている。

 

これまで私は、自分の人生を生きることにエネルギーを注がないで、人の世話をして人から感謝されようとしたり、何かをするのも人から誉められたり認められたり、愛されようという動機からやっていることが多かった。

 

そして、そうやって人を巻き込んだり巻き込もうとして、結局不満を得るということを繰り返していた。

 

散々欲しいものが得られなくて苦しい気持ちになっているのに、またそれを忘れて人を巻き込む(甘える)ことを繰り返していた。

 

どうして人を巻き込まずにいられないのか。

 

それは、自尊心が低く、自分の存在の価値を人の価値よりも低く感じていたからだ。

 

だから、人に喜ばれることが、自分の価値を上げてくれると無意識で思ってやっていたんだろう。

 

(本当は、そんなことで人の価値は決まらないと思うんだけど、幼少期の生きる戦略の名残だと思っている。)

 

それが、自分が生まれるときのイメージを書き換えて、「私はこの世に生まれてきたくて生まれることを選択したんだ」という気持ちになってから、状態が変化した。

 

変化にハッキリ気づいたのは、以前の繰り返しのパターンをやろうとして、「あ、私はまだ人に幸せにしてもらおうと、依存しようとしてるんだな。」と気づき、その瞬間で人から何かをもらうことへの執着を手放せたときだ。

 

私がこの年齢まで苦しみながら手放そうにも手放せなかったパターンだったので、終わるときのあっけなさには少し驚いたが、一気にさわやかな気持ちになった。

 

それからは、「人にどう思われてもいい、自分の人生を生きよう」という思いが強くなっている。

 

私が、疎外感や人に置いて行かれるような寂しさ、嫉妬に近いものを感じていたのは、ただ自分以外の人にばかりエネルギーを注いだり、注目したりして、自分のためにエネルギーを注ぐことをやっていなかった、自分を生きてこなかったからだと思った。

 

人を巻き込まず、自分のやりたいことを一人でやっていくと決めると、物事はスムーズに動く。

 

私は病気になって、多数の人が表面上は良しとする生き方とはだいぶ違っているけれど、私は私でいいし、私でしか生きることのできない人生で、私がしたいことをする。

 

それでいい。

 

人が思う成功じゃなくてもいい。

 

思いっきり自由を満喫し、自分がいいと思う生き方をずっと生きていく。

 

誰にも遠慮することはない。

 

憧れるだけだったことも形にしていく。

 

すでに、SLEになってから、だいぶ自分の思う生活スタイルになっている部分もあり、そんなに難しいことではないと感じる。

 

誰かに「お前には生きている価値がない」と思われようが(自分の中の「世間の声」かな)、例え少しでも自分が生きていて楽しいとじんわり感じられるなら、生きてる価値があるってもんだ。

 

人に認められることや、「人より自分は価値がある」という優越感に安心を得るのではなく、自分が自分であることが安心な状態になれば、何も持っていなくても、平和な自分でいられる。

 

私はこの件で、自分や周りでくり返されている良くない行動パターンは、恐れ絶望する対象ではないし、「変えられるものではない、しかたない」と運命論的にあきらめるものでもないと思った。

 

「変えられない」と嘆くのは、嘆くことで別の目的を達成しているからだろう。

 

だけど、成長したいなら、必ず変えられると、私は信じている。