ゆたりのTY日記

いつも心温かく生きていいって。

ひと段落

 

2017年、梅雨明けを過ぎ、暑くなってくると、官足法はだんだんサボり気味になった。

 

なんとなく体調が下降気味になっている感じがしたので、クーラーも我慢しすぎないで使うようにした。

 

クーラーで夜眠れるようになると、体調が少しづつ持ち直してきた。

 

「クーラーなしにして汗をかくこと」にちょっとこだわり過ぎていたかもと思った。

 

食欲が落ちてきていたので、朝はおかゆにしたら、さらに楽になった。

 


この夏は色々あって、自分の中を整理したり(実際に服飾品を整理し大半を処分した)、自分の中のものをさらけ出した夏だった。

 

自分の未熟な部分や、闇の部分も見ることになったが、抑えていた感情を解放できて、結果スッキリした。

 

(色々気付きを求めて自分に向き合う作業に集中すると、就寝時間がどんどん遅くなり遅寝遅起きに戻ってしまったが、1人静かに向き合えたのでそれでいい。)

 

両親とも相当ぶつかって、本音で話した。

 

親を愛していることもちゃんと伝えた。

 

自分で言うのもおこがましいが、自分を不幸にする価値観を頑なに握りしめているように見えた両親にも、前向きになるような一石を投じることができたと思っている。

 

これまで以上に本音を出してぶつかって、1人の時も自分の子供の頃のことを思って泣くだけ泣いた。

 

存分にそれをやったらスッキリし、「親のせいにしてるだけじゃなく、他に前に進む方法があるのでは?」という方向に考えられるようになった。

 

そこで、またその方向に集中すると、ふと読みかえしたくなった本の中に、「胎児期や産まれてくるときの記憶を変えることで、その後自分や親へのイメージが変わり、生きやすくなる」という内容のことを発見した。

 

その著者がそんなことを書いていたなんて、覚えていなかったが、その時期読んでいた別の著者も同じようなことを書いていた。

 

そして、もっともっと前にも、また別の人が似たような体験をしていたのも思い出した。

 

これは大事な鍵なのかもしれないと思った。

 

なので、早速胎児のときや産まれてくるときのイメージを変えてみた。

 

ちゃんと両親に愛され、愛のある言葉をかけられ、自分も頑張って外に出ようと決意し、産まれるイメージ。

 

その時に、なんとなく思ったというか、思い出したというか。

 

「私はこの世に生まれてきたくて、自分で生まれてくることを選択した」ということ。

 

それを感じて、「きっとどんな状況でも、そんなことすら乗り越えて生きていこうと思っていただろうな」とも思った。

 

母のお腹に宿る前の世界があるのかどうかもわからないし、そんな前向きな意志を抱いてきたかどうかもわからない。

 

だけど数年前に、私が病気で死にかけたとき、私に流れ込んできた「私を支えるような前向きな意志」と、似たものを感じた。

 

これが本来の私の意志なのかもしれないと思った。

 

自分の人生を自分で幸せにしていこうという前向きさと自発性。

 

昔の私はもっともっと受け身だった。

 


それから劇的な変化があったわけではないが、大きくひと段落ついた感じがしている。

 

それまで生きづらさを解決するために使っていた労力や時間を、別のことに使えることがとても久しぶりに感じた。

 

自分にフィットするものを探してテレビをつけてみるが、いいものがなく、テレビを消して、しばらく自分自身に意識を向け続けた。

 

「自分を満たすものは、外にはなく、自分の内にある」という感覚が分かったような気がした。

 

そして、外からの騒音も、ただ自分を嫌な気分にさせるものではなく、「ただそこにあるもの」として観察し、流れてゆく。

 

よく瞑想や精神世界の本に書いてあるけど、ただ在ることの中にいて、それで良かった。

 

それからは、海外ドラマをまとめて鑑賞したり、ご無沙汰になっていた音楽鑑賞に興味が出てきたりして、懐かしい気持ちになっている。

 

それと、自分の人生を前に進めるためのことを、ひとつひとつやっていっている。

 

今、楽しい。

 

この数年の旅はとても面白かったし、やっとわかった。

 

誰しもが、自分を苦しめる価値観、記憶を変えて、いつも心温かく生きていいって。